「カールスルーエ」への道
マダム節子
 江戸ソバリエ
 日本橋そばの会主宰

「ドイツの合唱団にそばを振舞ってくださいませんか?」
日頃、私たち(日本橋そばの会)がそば打ちの研鑽場所として使わせていただいている日本橋社会教育会館の館長さんから依頼があったのは、昨年の春のこと。私たちは喜んで協力。「大根おろしそば」を提供し、初めての日独交流は盛況に終えた。

一時のドイツ熱も収まり忘れかけていた頃、一通のメールが仲間のTさんの元へ・・・・・・。「ドイツにいらっしゃいませんか?」また、皆、発熱した。

それから半年間の準備。「そば粉をどのように運ぶか」から「現地で食べる郷土料理」に至るまで仲間7人は知恵を出し合い、ドイツとのおびただしいほどのメールのやり取りをしながら、慎重に計画をした。
今思うに、この準備期間は大変だったが楽しかった。


【ドイツの郷土料理】

今回の旅行での楽しみの一つはドイツの郷土料理を食べること。まずそのことから報告しよう。
ドイツ名物の、ソーセージ、ジャガイモ、そしてビールは毎日のように制覇した。

地元ならではの料理で特に美味しかったのはカールスルーエでMさんに案内された地ビール工場のレストラン。ここで旬のホワイトアスパラガスを頂いた。「シュバーゲル料理」という。 日本人が春の山菜を楽しみにしているようにドイツではホワイトアスパラを初夏の楽しみにしているとか。茹でたてのアスパラを出来たて地ビールと共に堪能した。


バードヘレンアルブでは刀削麺のようなパスタをAさんから紹介された。「シュペーツレ料理」-卵がたっぶり入った黄色のパスタを好みのソースに絡めていただく。キリッと冷えた白ワインにピッタリだった。
またドイツ人はアイスクリームが大好きと聞いたのでデザートに頼んだら凄いボリューム! 女性陣は体重のことは暫し、忘れることにした。

マウンブロン修道院では「マウルタッシェン料理」という餃子に似た料理を頂いた。その昔、肉食を禁じられている修行僧たちか隠れて食べた肉料理だそうだ。野菜に混ぜて皮を包み茹でるというもの。やはり隠れて飲んだといういわれのあるワインと共に・・・・・・。




[ステンドグラスは
清楚で地味]

気が付けば、だんだん胃がドイツサイズに変わっていた。
私たちは旅行中一人も日本食が食べたいと言わなかった。それ程ドイツの食事が口に合い美味しかった。

[ゲーテも常連だったハイデルベルグの
レストラン - ハートの椅子]



【5月31日(金)早朝】
さて、いよいよ本番。私たちは一人の欠員もなく、気持も一つになって出発。12時間後、南ドイツの金融都市フランクフルトに着いたのは現地時間午後2時。
いきなりEU諸国政策に抗議する凄まじい市民デモに遭遇し7人は緊張した。ターミネーターばりの警察官が多数で警戒し、道路が閉鎖され、思うように空港から車に乗れなかった。暗雲立ち込める空を眺めながら肩を寄せ合い無言で宿泊先に向かった。「7日間大丈夫か」と不安がよぎった。

[カールスルーエは
このあたり]

[搭乗機]


【6月1日(土)】
翌朝、今回のドイツ側スタッフの一人Mさんがホテルに迎えに来てくださった。
その後も3日間ずっとボランティアでお世話になったMさんは美しいご婦人で、つつましく、ユーモアにあふれていて、全て丁寧にサポートをして下さった。彼女にめぐり合ったことで私たちの旅はより充実したと思う。ここでカードは黒から白に反転した。
車に乗り込みフランクフルトから目的地カールスルーエ市内にある「マウマウテス教会自治会館メランヒトンハウス」へ。アウトバーンをもの凄いスピードで飛ばした。
南ドイツに位置するカールスルーエはフランクフルトから南へ車で2時間あまり、人口28万人の司法首都。道路が放射状に整備され、路面電車か行き交う美しい都市だった。その中心部にマウマウテス教会がある。
ワクワクしながら教会に行くと今回旅行に誘って下さったAさんがピアニストの奥様とお嬢様と共に向かえて下さった。Aさんはもちろん日本人で、芸大の作曲科のご出身、卒業後カールスルーエ音楽大学声楽科に留学し、現在は同大学で教鞭をとられている。合唱団の団長、指揮者もしておられる若き音楽家だ。
会場の下見、準備は全て順調に進み、気になることはずっと激しく降り続いている雨だけだった。
午後、今日からの宿泊先のバードヘレンアレブへ向かう。カールスルーエから南西に1時間。フランス国境近く黒い森がどこまでも広がる美しい避暑地である。Aさんのご友人が経営するアットホームなペンションにお世話になった。 あたたかいもてなしを受け、フランクなご夫妻に私の勝手なドイツ人のイメージがどんどん崩れていった。

[メランヒトンハウス会館の、そば振舞い会場]

[宿泊地バードヘレンアレブ]

【6月2日(日)快晴】
いよいよ教会でのそば振る舞い。そういえば、いま世界中で使われている言葉「ヌードル」はドイツ語の「Nudelin」が元祖だという。この国は何か麺に対する底力を秘めているような気がして、緊張する。
皆、キリリと身支度を整え、会場に向かった。昨日までの大雨で電車が途中不通というおまけもついたが雨もすっかりあがり新緑が一面キラキラと美しかった。


[市場で材料調達 ? 奥の方では葱も売っていた]

振る舞いは午後3時から100人の予定。
気持にも余裕ができ、楽しみながらの準備、賄い昼食にドイツ産のそば粉を打つ。
[ドイツ産そば粉] [ドイツ産そば粉でそば打ち]


Aさんと6歳になるお嬢さんに、そば打ちを体験してもらう。
そしてAさんの提案で、そばの具に大根おろし、葱、鰹節、わかめ、揚げ玉をそろえた。鰹節以外は現地調達、大根は十分辛い。揚げ玉はAさんのお手製で準備完了。パスタの白い皿に綺麗に盛りつけ、箸、フォーク、スプーンを用意した。

[振る舞いおろし蕎麦]

お客様はドイツ在住の日本人、合唱団団員、団員のご友人と年齢も幅広く、皆さんの前でのそば打ちは冷や汗をかいた。Aさん、Mさんの通訳で無事デモが終わって見渡すと、皆さんも美味しそうにそばを食べている。汁もスプーンで残さず飲んでいた。

引き続き夕方から交流会。スタッフ持ち寄りの家庭料理が並ぶ。ルバーブのタルトや肉のローストが珍しくとても美味しかった。
自己紹介、歌、ピアノ演奏あり、片言の英語、通訳を介しての和やかな交流会だった。

【6月3日(月)快晴】

[そば振る舞いのチラシ]

今日はプフォルツハイム市の市民大学でそば振る舞い。
プフォレツハイムは人口約10万人、ドイツの宝飾産業、時計産業の中心地だ。こちらでは日本語を学ぶ生徒さんたちにそばを紹介する。準備中にも関わらず彼らは習いたての日本語でしきりに話しかけてくる。
若者たちの好奇心、勉学心が伝わり胸が熱くなる。「日本を正しく理解してね」、「そばを好きになってね」と願った。


半年間をかけて準備してきた2日間のそば振る舞いは、無事終了。終わってみればアッという間だ。
「皆さん本当に喜んでくれたかなあ」と少し不安になったが、7人の顔は晴れ晴れとしていた。来て良かった。もう一度来たい。

江戸時代、寺でそば切りを振舞ったとあるが、平成の私たちは教会でそばを振舞った。
「そばの力」は凄い。私たちはそばに導かれドイツに行ったのかもしれない。


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